前作「The Quest」が2021年10月でしたので、約1年半ぶりというハイペースです。
最後に残るSteve Howeは、70年代から続けている菜食主義のおかげでしょうか、その容貌に反して(失礼!)バリバリ健康そうですが、元気に頑張って欲しいものです。
もはやクラシックの楽団のように、ブランドとして続けていっても良い気がしてきています。
Roundabout、良いですよね~。
もう聞き飽きたなんて人もいるかもしれませんが、私は初めて聴いた約40年前から、Yesナンバーではイチバン回しているかもしれません。
Yesファンの多くは、フェイヴァリット・ナンバーに「危機~Close to the Edge」「悟りの境地~Awaken」「燃える朝焼け~Heart of the Sunrise」などを挙げ、もしかしたら私くらいの世代(アラフィフ)だと「ロンリー・ハート~Owner of a Lonely Heart」という人も少なからずいるかもしれません。
私も全部好きです!
「Roundabout」は、Yesのアンセムとも言える名曲ですが、どういうワケかフェイヴァリットに推すのが少し気恥ずかしい風潮もある気がしています。
ですが、私は声を大にしてRoundaboutが大好きだと言いたい(笑)。
その理由は…
1)見事なまでの起承転結。
2)その後、数々の名曲を世に送り出したAnderson / Howeコンビの初出曲。
3)アコギが基盤の曲なのに、Chris Squireのブリブリ・ベース名演。
4)スネアとバスドラムの、タイミングをずらしたトリッキーな演奏。
5)Rick Wakemanが参加して初めて制作セッションに携わった1曲。
(もう1曲はHeart of the Sunrise)
6)コーラスワークが素晴らしい!(ラストの多重録音もステキ)
特に(4)のBill Brufordのドラミングの魅力は抗い難く、甲高いスネアが「そこは入れへんのかい!そこは入れるんかい!」となって、いつ聴いても新鮮な気持ちにさせてくれます。
中間部では性急なサンバ的展開を繰り広げ、ポリリズムのような複雑さをサラッとこなしているのもアツい!
世に出ているライヴ・バージョンの殆どはAlan Whiteなので、Billを堪能できるRoundaboutのライヴ版は本当に少ないです。
さて、タイトルについてなのですが、スパニッシュなイントロ後の最初のギター・リフは、全てアコースティック・ギターのハーモニクス音(倍音)によって奏でられています。
問題のコード進行は以下2パターン
1)メインリフ
Em / F#m / G / F#m / G / F#m / Em
2)ブリッジ(Gメジャーのサビ前)
Am / Bm / C / Bm / C / Bm / Am
上記どちらも全てのコード(3音)がナチュラル・ハーモニクスで鳴らされているのですが、1本のギターでそのまま演奏するのは不可能なんです。
Emは普通のチューニングで12フレットで出せますが、他のコードは全てチューニングを変えないと出せません。
(1)のGもハーモニクスで出せますが、3音の高低配列で言うと、正確ではありません)
50年以上前、現代のようにデスクトップでパパッとできるような事ではありません。
おそらくSteve Howeが1ストロークごとにチューニングを変えて鳴らしたのを録って、後で編集したのではないでしょうか??
テープの切り貼り職人とも言われた Eddie Offord (Engineer / Producer)の成せる技だったのかもしれませんね。
Steveはライヴにおいてメインリフのみ、12フレットの123弦、7フレットの234弦、12フレットの234弦(または5フレットの234弦)で代用していますが、音の配列が異なるし、7フレットのハーモニクス音はF#mではなくDなので、スタジオ・バージョンとは異なる響きになってしまっています。
(2)に至ってはレギュラーチューニングでは全く出せないので、普通のストロークで弾いていますね。
後のヴァースでは普通のコードストロークで弾いていますが、どういうワケかコードを変えています。
Em / F#m / G / F#m / G / F#m / Em
が本来の進行で、特に変調している訳でもないのに、響きが似ている下記で弾いています。
Em / A / Bm / A / Bm / A / Em
Trevor Rabinは、通してEm / F#m / Gで弾いていて、音としてはそれでも違和感はありません。(彼の場合は、Steveのスタイル自体を壊すので、それが違和感ですが…)
この辺りはきっと、Steveが練りに練って作ったんでしょうね。
ギター・コードにちょっと耳を澄ませるだけでも、奥が深いRoundabout。
最近は各楽器の音だけを抽出したYoutubeコンテンツもいろいろアップされているので、時間がある時に改めて向き合ってみようと思います。
今回はASIAのファーストアルバムを取り上げます。
数年前に、先に2nd「ALPHA」を取り上げたのに、私にとっては音楽人生の指針となった1stが手付かずだった事に、今さら気付きました。せっかくなので全曲レビューをします。
当時中学一年生で、まだロックもポップスもよく解っていなかった時の事です。プログレもハードロックも、パンクもニューウェイブも何も知らず、ただ「洋楽」ってカッコいいなーと思っていた時代です。
1980年くらいからFMのチャート番組を毎週聴くようになって、その番組で「Heat of the Moment」を最初に耳にしました。当時のこの曲の第一印象は、普通に「良いね~」という程度でした。2ndシングル「Only Time Will Tell~時へのロマン」を最初に聴いた時のインパクトの方が強烈で、イントロのシンセ・サウンドにすっかりやられてしまい、なけなしの小遣いでアルバムを買わなければ!と、一大決心をするに至りました。そして1982年はずっと、ASIAとTOTOばかり聴いて過ごしました。
- Heat of the Moment
Steve Howeらしからぬパワーコードで始まるこの曲は、シンプルなポップロックに聴こえますが、いろいろ凝った要素があります。
先ずヴァース・パートは3拍子と4拍子を組み合わせた変拍子になっていますが、それを全く感じさせない自然さが素晴らしい。
そして、ASIAというバンド名に説得力を付けるためなのか、日本の楽器、琴も使われています。
曲の構成、キー、コード進行は、Geoff Downesが在籍したBuggles「Video Killed the Radio Star(ラジオスターの悲劇)」から持って来ていますが、上記の変拍子の導入や、ギター・オリエンテッドなロック・サウンドによって、簡単にそうとは分からないようになっているのは流石!非常に巧妙に作られたポップソングです。
BS-TBSの名曲を辿る番組「Song to Soul」で、かつて取り上げられましたが、本人たちや制作時の関係者の証言は、とても興味深かったです。
・ゲフィン・レコードからアルバムを牽引するリードトラックが欲しいと言われ、最後の最後に作った。
・復活請負人のA&R, John Kalodnerが、歌詞作りに難航していたJohn Wettonに対して、言葉のアドバイスをした。(Kalodnerは後にWetton/Downesの作曲チームをゴリ押しして、結果ASIAの成功を縮小させた人物だと思っているので、個人的には良い印象がありません)
・John Wettonのたっての願いで、バック・コーラスも含めた全てのヴォーカルをJohnひとりで録った。
・一聴してシンプルに聞こえるイントロのコード・ストローク・ギターは、さまざま異なる機材を通した多重録音で作られた。
単純に楽しめるポップの名曲も、技巧で腕を鳴らした集団にかかると、幾つものとんでもない隠し味が秘められていた事が分かります。
- Only Time Will Tell
シンセ・ファンファーレのイントロに、少年だった私は一発で心を射抜かれたのですが、今聴くとちょっと恥ずかしく感じてしまいます(笑)。
ASIAの曲は、殆ど、いやほぼ全て?(ペイン期は知りません)が、サビでタイトルを連呼しますが、この曲はそれが無いのが私にとっては好印象。
2番以降のヴァースで、カウンター・メロディとしてバック・コーラスが歌っていますけどね。
ドラマティックなシンセと、ロングトーンで唄うギター、分厚いコーラスワークが魅力的な名曲です。
- Sole Survivor
ギター、ベース、ドラムのヘヴィーなユニゾンで始まり、ワウワウの効いたギターソロが、のっけから乱高下する、とてもロックな曲。
ここまで頭の3曲はJohn Wetton / Geoff Downesのコンビで書かれていますが、Steve HoweもCarl Palmerも個性を全面に出してサウンド・メイキングに大きく貢献しているのが、2nd「Alpha」との大きな違いだと感じます。Johnもヴォーカルだけでなく、ベースにも存在感がしっかり出ています。
- One Step Closer
Steve HoweとJohn Wettonの共作曲。元ネタはSteveがYes加入前の1968年に活動していたBodastの「Come Over Stranger」。この曲の後半に登場するアルペジオが、One Step Closerではイントロからヴァースにかけてメイン・フレーズとして使われています。
Bodastは、レコード会社倒産のあおりを受け、完成したアルバムを世に出せなかったので、ASIAの一部としてでも日の目を見る事ができたのは何よりです。(Bodast自体も後年に、CDでもサブスクでも聴けるようになって、実はYesの名曲群でもSteveのアイディアが転用されました)
歌がマズいSteveですが、ここではJohnとハモりながらリード・ヴォーカルを取っています。
このデュエットは全く違和感なく、素敵に聞こえるから不思議!
因みにBodastの元曲は、Small Facesのようなモッズ・サウンドで、これはこれで違う魅力があります。
- Time Again
全員の共作によるA面ラスト。
ヘヴィーなユニゾンによるリフがオクターブを上がっていくイントロは、SteveとGeoffにとっては前作にあたるYes「Drama(1980)」のMachine Messiahを彷彿とさせます。
また、ヴォーカル・パートに入ってからのCarlのドラミングは、ELPのFanfale for the Common Man(庶民のファンファーレ)を想起させるシャッフル。それぞれのキャリアを総括したような、とてもカッコいい1曲です。
- Wildest Dreams
Wetton / Dowensの曲ですが、SteveとCarlも大活躍の1曲。
それにしてもSteveのギターは、ソロ・パートよりもバッキングでよく歌うように思います。この曲でも2番に入ってからのバッキングではコード・カッティングではなくシングルのロングトーンでカウンター・メロディーを奏でています。
そして圧巻はCarlのドラム・ソロ。SteveもCarlも口の悪い人たちから「ヘタウマ」とか言われますが、この曲には彼ら二人の実力/魅力が詰まっています。
- Without You
ASIAは当初、マネジメントの引き合わせにより、JohnとSteveで始めたバンドなので、1stには二人の共作曲がいくつかあります。2nd以降の殆どを占める事となるWetton / Downesの曲に比べると、少し重かったりポップさに欠ける面はありますが、決して見過ごすべきではない名曲たちで、ASIAには欠かせない一部分だったと感じます。この曲も4分弱の短い時間にあって、中間部にアコースティックパートが挿入されていたり、短調の曲がラストには微かな希望を思わせる長調に変調したりと、素晴らしい構成を楽しめます。
- Cutting it Fine
Steveの十八番、低音弦だけを移動させるアコースティックの3フィンガー・ピッキングで始まるこの曲は、John, Geoff, Steve三人の共作。1stではやはり、Johnのベースが随所で唸っていて、それも大きな魅力です。
全員の個性的なプレイが、平等に目立って活躍しているのがとても良いです。
2nd以降は正直あまりベースが聞こえないし、聴き取りたくなるような印象的なプレイすらしていないように思います。
この曲の後半は、後に「Bolero」と呼ばれるキーボード・ソロがあります。
私にとっては初めて耳にした音楽だったので、このソロ・パートには本当に感動しました。
後にKeith EmersonやRick Wakeman, Tony Banksなどを知る事となりますが、それでもこのGeoffのソロは、演奏技術よりも音楽そのものとして、深く心に残るものとなりました。
- Here Comes the Feeling
ラストはJohnとSteveの共作曲。フィナーレに相応しい、ドラマティックで明るく、爽快な曲です。Johnの歌は最後まで素晴らしく、ベースはブンブン唸り、Steveのギターは小さな曲でも縦横無尽に駆け巡り、Carlのドラムも単純な8ビートには留まらず、Geoffは煌びやかなシンセからエレピ、ハモンド・オルガンなどを駆使して盛り上げます。
4人の演奏でバシッとカットアウトするエンディングは、さながらライヴのラストのようで、正に大団円です。
- Ride Easy
Heat of the Momentシングルのカップリング曲で、アルバム未収録。後に12インチEP「Aurora(1986)」や、コンピ盤を含む幾つかのCDに収録されました。
ハープシコードの印象的な音色から始まる、愁いを帯びた名曲ですが、アルバム収録曲とは確かに毛色が違うのも分かります。
JohnとSteve共作の、忘れてはいけない1曲です。
MTVが主流になる直前、FM雑誌が音楽情報収集の主なメディアでした。
私はMUSIC LIFEよりも先に、二週間ごとに発売されるFMレコパルを購読し、それに掲載されるアーティストのストーリー漫画を楽しみにしていました。
ASIAも1982年に取り上げられ、それで彼らのストーリーを知る事となりました。
漫画の主人公はSteve HoweとCarl Palmerで、早朝の霧のロンドンをジョギングするSteveと息子のDylanが、空手の朝稽古をしているCarlにばったり会って意気投合、というフィクション(笑)。バンドの要であるはずのJohnとGeoffは一切ストーリーに絡んできません!
それでもそこでYes, King Crimson, ELP(とBuggles)というパワーワードを知る事となり、少し経った後にプログレ沼に嵌らざるを得なくなりました。
ASIAの成功は最初の数年間だけでしたが、それでも長く活動が続き、後年にはオリジナルメンバーで新たな作品を世に送り出す事も出来て、良かったと思います。
私はASTRAと、次のEP, AURORAを最後に彼らをフォローしなくなり、来日公演には一度も足を運ばないうちにJohnが他界してしまいました。早いもので、もう5年になります。
Johnは1996年のSteve Hackett & Friendsで、SteveはABWHとYesで、GeoffもYesで観る事ができました。Carlだけまだ観ていませんが、ELPは既に二人も失ってしまっているため、今後もCarlを観る機会はないかもしれません。
音楽会のレジェンドが次々と召されていくのを目の当たりにすると、ライヴはちょっとでも気になったら、迷わず行くべきだと痛感する昨今です。
Jeff Beck, David Crosbyの訃報を受けて、このエントリーを書きかけのまま保留しているうちに、高橋幸宏さん、鮎川誠さん、TelevisionのTom Verlain、そしてタラちゃんの声でお馴染みの貴家堂子(さすがたかこ)さんとほぼ同時に、Burt Bacharachの訃報が。
今年は年初から、エンタメ巨星のお召し上げが激しいです…
- Jeff Beck - Jan/10/2023
高校時代の友人がモーレツに彼を崇拝していて、その影響もあってヤードバーズ、ジェフ・ベック・グループ、BBA、ソロを何枚か聴いてきました。
日本ではヤードバーズ出身のエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと共に三大ギタリストと呼ばれてきましたが、私はホドホドの熱量で、1度は来日公演に足を運んだ程度に、ジェフが一番好きでした。
音楽面でも、本当に亡くなる直前まで現役感バリバリで、カッコよかった。
ビート・ミュージックから始まり、ハードロック、フュージョン、クラブ・ミュージックに接近したりと変幻自在。ストラトをフィンガー・ピッキングで操るさまは、本当に素敵でした。
私が彼の音楽を知った80年代は、旧友ロッド・スチュワートとの共演「People Get Ready」がスマッシュヒットを飛ばしていた時でした。
その当時、必聴と言われていたソロ作品は「Blow By Blow」「Wired」の二作。私の愛聴盤となったのは後者「Wired」でした。
近年ではバンドに女性ミュージシャンを多く起用し、才能を発掘する面でも注目されていたように思います。2017年の来日時も、バンドメンバーの殆どが女性だったと記憶しています。
その時は既に居ませんでしたが、ベーシストのタル・ウィルケンフェルドはジェフのバンド加入をきっかけに多くの大物と共演し、ベーシストとしてだけでなく、シンガー・ソング・ライターとしても活躍するようになりました。
私が好きなYesは、その初期にThe ByrdsやBufallo Springfieldをカバーしていました。バーズを最初に耳にしたのはMTV番組で流れた古い映像の「So You Want to Be a Rock 'n' Roll Star」
次にYesの1stに収録のカバー曲「I See You」
その後にテレビで放送されたアトランティック・レコード40周年コンサートでのCSN「Suite: Judy Blue Eyes」
そうやって辿っていくうちにバーズを集め出し、CSN&Yを聴いて、という流れでした。
Yesが影響を受けた音楽として聴いているうちに、好きになったアーティストの一人です。
2015年の東京国際フォーラムでのCSN来日公演は圧巻でした。
1980年代の中~後期は、私も十代後半に差し掛かり、音楽の趣味がかなり固まった時期でした。アルバイトをしてコンポを揃え、ブリティッシュ・ロックの旧譜を集めるようになりました。フェルナンデスの安いギターを買って、耳コピを始めたり、少しするとパーツを買い集めて改造したりもしました。その時期の「後追い」は後編で纏めますので、先に少し飛んで1990年代のお話しをします。
先ず私はロック聴き始めにASIAファンになり、1983年の再結成以降、ガリゴリのYesファンになりました。両バンドのファンになったという事は自然と「Steve, Yesに戻らないかなぁ」となるわけです。コツコツとレコードで揃えたYes名作群には、全てSteve Howeがいましたから、その思いは強くなるばかり。ふたつ前のエントリーで書いた通り、1990年のAnderson Bruford Wakeman Howe来日公演は、東京と横浜の全てに行ったほどです。
その直後のUnion事変で大きく失望し、「Yesはもういいかな…」と思うようになっていました。(とはいえそう簡単に離れる事も出来ず、Union@武道館には行きましたし、アルバムもずっとフォローし続けていますが)
せっかくFragileとClose to the Edgeのメンツ80%が揃って、その上Tony Levinもパーマネントでサポートしていて、次作「Dialogue」も完成間近というのに、
ナニしてくれちゃってるの、Anderson君⁉
てなモンで、当時のRick Wakemanの心境そのまま、Unionは正しくOnionだったのです。
というワケで、90年代はプログレ後追いのプライオリティが自ずと低くなり、同時代の音楽を意識高めに聴くようにした10年間でした。後追いも、ちょっと趣向を変えた時期でもありました。
ちょっとした思い付きから「聴いてきた音楽を回顧してみよう」となったのですが、MVを貼り付けていたらめちゃめちゃ長くなってしまいました(笑)
自分の音楽遍歴を遡る旅、中編、後編と続ける…気持ちでいます。
初回の前編は、最初のリアルタイムにこだわってみました。
良かったらお付き合いください…。
最近ことさら、音楽は同時代性込みで楽しむのも大事だな、と思うようになりました。
自分自身の人生イベントと紐づいて、よりインパクトのある記憶になったり、その時々の社会情勢、そのカウンターとしての曲(歌詞)であったり、リアルタイムで体験した方が、より正しく価値を理解できるのかな、という思いが強くなってきました。
私の音楽遍歴は、その多くが後追いでした。同時代のものも含めさまざま聴いてきた結果、1970年代の、特に英国プログレッシヴ・ロックが自分には一番合っている、しっくり自然に聴ける音楽だと分かりました。
ですが、後追いの音楽は、発表当時の空気感までは知る術がありません。こればかりはどうしようもありません。
逆に、洋楽を聴き始めた1980年代前半と、意識して同時代性を求めた1990年代の音楽は、その当時の自分自身のイベントや、音楽シーンの動向、リアタイならではの空気感を記憶に刻み込めたのかな、と感じます。
また、最初に聴いた当時は自分自身がまだ幼くて、その良さが解らなかった曲も、年齢を重ねて違う捉え方ができるようになったり、自分の感性の変化を感じ取れたりします。
高額に加え、タイミング的にも大枚叩いてまで入手するモチベーションではないので、一旦は見送りますが、実に魅力的なボックスです…。
過去のエントリーで書いたと思いますが、私の人生初のライヴ体験は1988年春、代々木体育館で行われたYes~Big Generator Tourでした。
1982年にASIAを経由して知ったYes。その当時Yesは解散状態だったので、ロックを知ったばかりの中学生の憧れは盲目的に強くなりました。そして程なくすると、ドラマティックに再結成。斬新な変身を遂げての大ブレイクを、思春期真っ只中の感性で目の当たりにしてきたので、正に待望のライヴ体験だったのですが、ハイティーンになっていた1988年頃には、既に往年のYesと当時のYesのギャップを知ってしまった後。いわゆる90125Yes(当時はまだ、そんなあだ名はありませんでした)もリアルタイムで大いに楽しんでいましたが、「だが、コレじゃない」感が芽生えていたのも事実です。
「Close to the Edge」直後の全盛期、滞在時にJon&Steveで「Tales from Topographic Oceans」の構想を練ったという1973年の初来日時、私はまだ3歳の幼児。それから実に15年もの時を隔てた2度目の来日公演が、私にとっては人生初のライヴ体験となったわけですが、残念な事にかなり記憶が薄れてしまっています。
その初めての生Yesメモリーを完膚なきまでに上書きしたのが、Anderson Bruford Wakeman Howe(ABWH)の結成と、1990年春の来日公演でした。
人生2度目となったこのライヴ体験、東京と横浜の全公演に足を運び、忘れようもないほどに記憶に刻み込みました。
90125Yesは、アルバムのリリース間隔こそ長かったものの、珍しくメンバーチェンジもせずに80年代を駆け抜けたので、このラインナップは盤石で、黄金期メンバーの再集結は見果てぬ夢に終わるのだろうと、当時の私は諦めていました。
そして私が、Yesに興味を持つきっかけとなったギター・ヒーローSteve Howeが、ASIA、GTRの商業的成功とは裏腹に、バンドのリレーションシップに失敗しているのを繰り返し見てきて、いたたまれない気持ちでいた80年代終盤。正に起死回生の一発に思えたのが、ABWHでした。
なんといっても全盛期メンバーの4/5が揃った事、特に「Close to the Edge」をレコードに残したものの、一度もライヴ演奏せずに去ったBill Brufordが戻ってきたのは、私のような若輩ファンにとっても奇跡の出来事に思えました。
Billは正に字義通りのProgressiveを体現するドラマーでしたので、彼が連れてきたTony Levinのサポート含め『ただの懐メロで終わるワケがない』という期待感もありました。
当時はまだ、Chris Squireの重要性は今ほど言われておらず、時には「目立たない」「静かな」メンバーとして紹介するメディアもあるほどでした。故に私も、彼の不在を殆ど気にしていませんでした。なんなら「生意気な若造」Trevor Rabinを擁護してYesの看板を譲らない巨漢のヒール、くらいにしか思っていませんでした(ただBig Generatorでの私のお気に入りは、彼のベースが大活躍するI'm Runningでした)。
今は勿論、ChrisがYesで果たした役割の重要性(音楽、運営どちらも)と当時の正当性、Trevorの並外れた才能も理解しています。
ABWHの既発ライヴ作品「An Evening of Yes Music Plus」は、既知のとおり病欠したTony Levinに替わって、Billのもう一人の盟友Jeff Berlinが参加しています。そのため、フルタイムでサポートしていたTony参加音源の方がレアになってしまっています。
指に長い「とんがりコーン」を装着したり、チャップマン・スティックを駆使した先進的な演奏には、本当に痺れましたし、シモンズのデジタル・ドラム要塞を縦横無尽に操るBillとのコンビネーションも最高でした。
本作の国内盤は、NHKホールでのオンボード音源も収録との事。Tonyの演奏が聴けます!
でも、高いんだよなあ…。
余談ですが、未だにBill Brufordの日本語表記には揺れがありますね。
私も世代的には「ブラッフォード/ブラフォード」で覚えたクチですが、自伝が出版された辺りからは意識して「ブルーフォード/ブルフォード」と記述するようにしています。過去のエントリーではブレの名残があって「ブルッフォード」とか書いちゃったりしていますが(笑)