2013年12月12日木曜日

Lou Reed / Metal Machine Music

ルー・リードは前職の先輩に教えてもらって、一時本当によく聴いた。そのきっかけは、もう22〜23年前になる。今でもiTunesにかなりのアルバムを読み込ませてあり、いつでも聴けるようにしてある。もともと僕自身がギター/インストの趣向が強かったせいで、歌詞の世界にはそれほど深く入り込む事ができなかったが、ロック・ミュージックの神髄とも言える感覚は、ルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽を聴く事で身をもって覚えた気がする。

 彼が亡くなった事を教えてくれたのも、その先輩だった。 この数年間、先輩とは年賀状のやり取りくらいの細い繋がりになってしまっていた。虫の知らせなのかどうか、たまたま最近になってメールでの交流が復活した矢先の事だった。
10/28(米時間10/27)の朝、先輩からメールで知らされて大きな衝撃を受けた。
ちょうど夫婦で旅行に出た日の出来事だった。その晩 僕は旅先で、持参したMacのiTunesライブラリから「Berlin」と「Live in Italy」を選んで、続けて聴いた。「Berlin」はレクイエムとして、「Live in Italy」は前を向くためのカンフル剤として、自分なりにそれぞれふさわしいと思っての選択だった。

後日webで見る事ができた奥さんのローリー・アンダーソンの手記は、涙なくしては読めなかった。悲しいという感覚よりも、とても深くまで理解し合った二人の別離の瞬間が、映像となって脳内で再現され、「日曜の朝」の様子が心に迫ってくるようなテキストだった。 パティ・スミスやメタリカのラーズのテキストも、ただ美化するだけじゃない、本当に近くにいた人たちならではの親しみに溢れていた。

 彼のアルバムの中で唯一、今まで手を出せなかったのが今回のタイトルにある「Metal Machine Music」だった。 初CD化された際に「全編ギターノイズ」「契約を履行するための悪ふざけ」「本人も認める失敗作」など真偽不明な予備知識が入ってきて、以来ずっと及び腰になっていた。
そしてようやく聴く覚悟ができたのだが、確かにこれはすごいモノには違いないと感じた。ただ、普通の感覚で評価すべきものでもなさそうだ。
 聴けるか聴けないかというと、僕個人としては聴ける作品だった。
ただし、心のコンディション次第だし、全編連続で聞き通すのは至難。 メロディもリズムもなく、リフやソロもなく、もちろん唄もない。
幾重にも織り重ねられたギターノイズの音像は、壁というよりも港から眺める大海を想起させる。砂浜や岸壁ではなく、港から見る海。背には摩天楼という、個人的な、勝手なイメージ。 フィードバックの高音はカモメの鳴き声のように聞こえる瞬間もあり、金属的な尖った断片はさざ波に揺れながら反射する日光のように煌めいている。
 導入部のインパクトはファウストの「クラウトロック」にも通じるものがあるが、異なるのはそれが全く反復せずに延々LP2枚分続いていく事。

 ニューヨークの詩人と言われたルー・リード。ギター・ノイズだけで紡いだこの作品もまた、聴くものそれぞれのイマジネーションを刺激し、詩的情景を提供してくれたのだと思う。

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