プログレ・ファンにとってはYesの2nd「Time and a Word」オープニング曲として大胆にアレンジされたカバー、「No Opportunity Necessary No Experience Needed」や、Steve Hackettの2nd「Please Don't Touch」でのゲスト参加「How Can I ?」辺りがよく知られているところでしょう。最近(といっても10年以上前ですが)だと、Peter Gabrielの「OVO」でも、渋く味わいのある歌声を聴かせてくれていました。
「Owner of a Lonely Heart」がラジオやMTVで流れ始めた時は、サンプラーやオケヒットの斬新な音に驚いたし、流行りの曲の一つとしてとても気に入った。僕は駆け出しの洋楽リスナーだったので、これをYesとして認める/認めないというような感情はなかった。
「へー、こういう形で復活したんだ」というような、淡々と、しかし嬉しい気持ちでいた。ASIAがいてYesも復活した。'70年代を知らなくても、なんだかワクワクさせられた1983年だった。
冒頭の「Big Generator」ツアーから2年後の1990年、ABWHは来日を果たした。
僕はこの時、東京と横浜の公演全てのチケットを入手し、足を運んだ。
既にこの頃は、僕がYesのどういった音楽が好きかを分かっていたワケで、「Fragile」「Close to the Edge」を作ったメンバーの4/5が揃った時点で、それは奇跡だった。
僕にとっては(厳密にはYesじゃないにしても)Steve Howeの復帰が嬉しかったし、そして何よりも、二度と無いだろうと思っていたBill Brufordの参加には本当に驚いた。
全盛期の'73年来日でも既にBillはいなかったし、最高傑作「Close to the Edge」に至っては一度もライヴに参加していなかったのだから、この来日公演には本当に特別な思いで臨んだのだった。