2023年1月8日日曜日

リアルタイムと後追い~中編(1990年代)

 1980年代の中~後期は、私も十代後半に差し掛かり、音楽の趣味がかなり固まった時期でした。アルバイトをしてコンポを揃え、ブリティッシュ・ロックの旧譜を集めるようになりました。フェルナンデスの安いギターを買って、耳コピを始めたり、少しするとパーツを買い集めて改造したりもしました。その時期の「後追い」は後編で纏めますので、先に少し飛んで1990年代のお話しをします。


先ず私はロック聴き始めにASIAファンになり、1983年の再結成以降、ガリゴリのYesファンになりました。両バンドのファンになったという事は自然と「Steve, Yesに戻らないかなぁ」となるわけです。コツコツとレコードで揃えたYes名作群には、全てSteve Howeがいましたから、その思いは強くなるばかり。ふたつ前のエントリーで書いた通り、1990年のAnderson Bruford Wakeman Howe来日公演は、東京と横浜の全てに行ったほどです。

その直後のUnion事変で大きく失望し、「Yesはもういいかな…」と思うようになっていました。(とはいえそう簡単に離れる事も出来ず、Union@武道館には行きましたし、アルバムもずっとフォローし続けていますが)
せっかくFragileとClose to the Edgeのメンツ80%が揃って、その上Tony Levinもパーマネントでサポートしていて、次作「Dialogue」も完成間近というのに、

ナニしてくれちゃってるの、Anderson君⁉

てなモンで、当時のRick Wakemanの心境そのまま、Unionは正しくOnionだったのです。

というワケで、90年代はプログレ後追いのプライオリティが自ずと低くなり、同時代の音楽を意識高めに聴くようにした10年間でした。後追いも、ちょっと趣向を変えた時期でもありました。


Ride / Seagull(1990)
UKインディーズはパンクが勃興した1970年代後半からあったそうですが、私が意識して向き合ったのは、Rideが初めてだったと思います。英インディーレーベルでは大手のCreationからデビューしたバンドです。自分の靴を見るように下を向いたパフォーマンスからShoegazerという1ジャンルの呼称までできました。
このビデオは再結成後の最近のものらしく、皆いいオジサンになっています。私も同世代なので、同じくオジサンになりました。


Blur / Bang(1991)
彼らもインディーズのFood Recordsからデビューしましたが、後にブリットポップの雄としてOasisと覇権を争い(というかメディア側の勝手な印象操作でしたが)、更には米オルタナティブ・ロックに接近したりと、音楽性を柔軟に変化させていきました。
1st「Leasure」の頃は、シューゲイザーのノイズと、ダンサブルなマンチェスター・サウンド(Happy Mondays, Stone Rosesなど)を合わせたような、ウマい音を出していました。
次作「Modern Life is Rubbish」から始まった彼らのブリットポップ期に、Peter Gabriel時代のGenesisと重ね合わせて見る事が多くありました。
中産階級のお坊ちゃまで、賢くヒネていて、意識的に英国臭くしているところとか。フロントマンがイケメンなのにかなりハッチャけてるトコとか、ギタリストが黒縁メガネで演奏がトリッキーなトコとかも(笑)。

My Bloody Valentine / Only Shallow(1991)
シューゲイザーのラスボスが彼らMBVでした(The Jesus and Mery Chainと双頭ですね)。このアルバム「Loveless」は、もはや説明不要の90年代の超名盤。私も発売日に買って、何度も何度も繰り返し聴きました。敢えて一言で説明すると「ギターノイズのウォール・オブ・サウンド」でしょうか。ダビングしたテープを車でかけていたら、同乗していた当時の彼女に「このテープ伸びてるの?」と言われました(笑)。


Nirvana / Smells Like Teen Spilit(1991)
この頃は購読する音楽誌も変わって、ロキノン、クロスビート、ミュージックマガジンなどになっていました。「Nevermind」が新譜レビューに載った際「売れそうな殺伐」というサブタイトルで書かれていたのを思い出します。まだグランジという言葉が無かった、もしくは日本にまで届いてなかった頃で、Sonic YouthやDinasour Jr.など米インディーズの先輩たちと共に「殺伐ロック」とか呼ばれていました。当時私は埼玉の小さなCDチェーンの店員をやっていたのですが、洋楽を担当していた先輩が「Nevermind」を1枚も初回オーダーしておらず、こっそり(控えめに)3枚バック・オーダーしたのを覚えています。それもあっという間に完売してしまい、次回入荷まで相当時間を要してしまいました。


Faith No More / Midlife Crisis(1992)
ミクスチャー・ロックと言われた彼らも実は歴史が長いようで、バンドの始まりは1979年にまで遡るとか。1980年代、10代の頃にプログレを知り、70年代の音楽を漁り始めた私ですが「本当の意味でのProgressiveってなんだろう?」と素朴な疑問を感じ始めていました。
パンク、メタルから、ファンク、ヒップホップまで内包した彼らの音楽は、その一つの回答だったと思います。
「中年の危機」と題されたこの曲は、今も聴き続ける数少ない90’sナンバーのひとつです。

nomeansno / 0+2=1(1991)
本作は何故買ったのか全くもって解らないのですが、大当たりだった1枚です。
カナダのハードコア・パンク・バンド5作目。実は彼らも、70年代末から活動を始めています。音楽もビジネスも肥大化した恐竜バンドへのアンチテーゼであったUKパンク勢と異なり、彼らも上記のFaith No Moreも、プログレからの影響を受けているところが実に興味深いです。まぁ大体、見え隠れする要素はヘヴィー&ダークなKing Crimsonなんですけどね。


Chemical Brothers feat. Noel Gallagher / Let Forever Be(1999)
OasisはアルバムもEPも結構買っていた私ですが、実はそれほど好きではありませんでした。あまり、というか殆ど聴き込んだ覚えもないほどです。
ですが、ノエルとケミカル・ブラザーズのコラボは、いつも好きでした。不思議なものです。

David Bowie / Dead Man Walking(1997)
ドラムンベースを大々的に取り入れたアルバム「Earthring」、けっこう聴きました。というかTin Machineがポシャってソロ活動に復帰してからの作品は、どれも高クオリティだったボウイです。70年代のように時代を先導する気負いもなく、その時々の興味の赴くままに流行を取り込んでいく様もまた、カッコよかった。

Metallica / Enter Sandman(1991)
まさか自分がメタリカを聴く日が来るとは!そう思った1991年は洋楽が大豊作で、本当にリアルタイムで体験できたのが幸せな年でした。高校生の頃(80年代中~後期)、スラッシュメタルとしてのメタリカが大好きな友人がいて、遊びに行くと部屋で大音量でかけて直ぐにヘドバンするのを傍目に「バカだなー」と思っていただけに、この曲が入っている通称ブラック・アルバムは、アンチ・メタルも巻き込んだ大傑作だったと思います。
彼らはLou Reedの遺作となった「LuLu」でもコラボしていて、本当に底が知れないモンスターです。

Yes / Open Your Eyes(1997)
Yes好きの端くれとして、90年代の彼らも取り上げなくてはなりません。この曲を収録した同名アルバムは著しく評価が低く、多くのファンやライターからも一番の駄作扱いを受けています。「Drama(1980)」のように、低評価が覆る事も無さそうですが、私は好きな1枚です。
90年代の、その前の作品群「Union(1991)」「Talk(1994)」「Keys to Ascension 1&2(1996, 1997)」には、届けられるごとに彼らへのロイヤルティを削られていきました。
元々ベースのChrisと、長年YesをサポートをしていたWorld TradeのBilly Sherwoodのプロジェクトだった素材を、Yesとしてまとめ上げたのが本作ですが、タイトに若返って、コーラスワークはいつにも増して分厚く、サウンドプロダクションも90年代らしく、なかなか良い作品だと思います。
全くの余談…。このOpen Your Eyes、シングルカットもされていますが、Steve Howeが両方に関わっているというところで比較してしまうと、ASIAの同名異曲(1983)の方に軍配が上がりますかね~。

Steve Hackett / Rise Again(1999)
この少し前に出した、過去に在籍したGenesisをセルフカヴァーした「Genesis Revisited(1996)」が話題を呼び、オールスターを引き連れての初来日も果たしたSteve Hackett(元Genesis)の「Darktown(1999)」より。
緑がかったモノクロームの墓地がジャケットという、悪趣味なアートワークは、本作の重要な要素ではあるけれど一旦置いといて、見過ごしてはならない90年代の名盤の1枚だと思います。
初期のソロ作から一貫している幽玄的な曲、ダークでアグレッシヴな曲から、ブレイクビーツといった流行まで取り入れていました。
このRise Againは、最近の作品にも通じる、明るく疾走感のあるライヴ映えのする名曲。近年のライフワークとなっている「Genesis Revisited tour」でも披露されていました。

Genesis / Carpet Crawlers 1999(1999)
初期Genesisのライヴや未発表音源を編纂するにあたり、90年代まで活躍したTony Banks(key,g), Mike Rutherford(b,g), Phil Collins(vo, ds)に加え、1970年代にグループを去ったPeter Gabriel(vo)とSteve Hackett(g)も一堂に会しました。それがきっかけとなり、名作「The Lamb Lies Down On Broadway~眩惑のブロードウェイ(1974)」から、この1曲がリメイクされました。プロデュースはTrevor Horn。メインボーカルはPeterで、コーラスおよびクライマックスの1節をPhilが担当しています。Genesisはこの時をきっかけに、何度もプログレ期の5人で復活か!? と期待を持たせますが、結局はいつものトリオで2回、大規模コンサート・ツアーをやって終わりました(2007と2021~2022)。でもそれが彼ららしいし、5人で再結成して陳腐になってしまう事を避けているようにも思います。Philも健康問題を抱えて、ヴォーカルはともかく、もはやドラムは叩けないでしょうしね。


1990年代は、他にももっとたくさん紹介したいアーティストがいますが、それはまたの機会にします。CDバブルの時代でJ-POPがメチャクソ売れましたが、幸か不幸かそっち方面には全く興味が湧かなかったので、同世代とJ-POPベースで思い出話ができないのは仕方ありません。ただ、上記に上げた曲と、私自身の思い出は確実にリンクしていて、恋愛、仕事、ドライブ、地方への赴任など、良い思い出も悪い思い出もいろいろ蘇ってきました。

2023年1月6日金曜日

リアルタイムと後追い~前編(結果1983年が多い)

ちょっとした思い付きから「聴いてきた音楽を回顧してみよう」となったのですが、MVを貼り付けていたらめちゃめちゃ長くなってしまいました(笑)
自分の音楽遍歴を遡る旅、中編、後編と続ける…気持ちでいます。
初回の前編は、最初のリアルタイムにこだわってみました。
良かったらお付き合いください…。


最近ことさら、音楽は同時代性込みで楽しむのも大事だな、と思うようになりました。 
自分自身の人生イベントと紐づいて、よりインパクトのある記憶になったり、その時々の社会情勢、そのカウンターとしての曲(歌詞)であったり、リアルタイムで体験した方が、より正しく価値を理解できるのかな、という思いが強くなってきました。

私の音楽遍歴は、その多くが後追いでした。同時代のものも含めさまざま聴いてきた結果、1970年代の、特に英国プログレッシヴ・ロックが自分には一番合っている、しっくり自然に聴ける音楽だと分かりました。
ですが、後追いの音楽は、発表当時の空気感までは知る術がありません。こればかりはどうしようもありません。

逆に、洋楽を聴き始めた1980年代前半と、意識して同時代性を求めた1990年代の音楽は、その当時の自分自身のイベントや、音楽シーンの動向、リアタイならではの空気感を記憶に刻み込めたのかな、と感じます。

また、最初に聴いた当時は自分自身がまだ幼くて、その良さが解らなかった曲も、年齢を重ねて違う捉え方ができるようになったり、自分の感性の変化を感じ取れたりします。


The Police / Every Breath You Take(1983)
ポリスは少し前の1980年に知った好きなグループでしたが、1983年に大ヒットしたこの曲は嫌いでした。しかし今iPhoneのプレイリストには、しっかり入っています。
Sting作の曲を、より印象深くするAndy Summersのギター。速くても遅くても、めちゃくちゃ指を広げないと弾けない、厳しい運指のアルペジオは、ポリスのトレードマークのひとつです。
雰囲気だけで聴いていると切ないラヴソングのようですが、歌詞を読み込むとヤベー歌だと分かります(笑)

Genesis / Mama(1983)
この曲も当時は「暗くて気持ち悪い」という、身も蓋もない第一印象。リアルタイムでは、トリオのGenesisに殆ど魅力を感ませんでした。同時期のもう一つのヒット曲「That's All」を先に耳にしましたが、当時はとてもシックな音楽に聞こえて、13歳の私には響きませんでした。それから10年近く経過して、Peter Gabriel期の1970年代前半を知った時に、やっと「トリオになっても流石Genesis!」と思うように。
この曲のライヴで、下から顔を照らす「ハハッ!ハッ!アァァオゥ」のパートは、「The Musical Box(1971)」のセルフ・オマージュ(Peter Gabrielへの)だと思っています。

Culture Club / Church of the Poison Mind(1983)
大ヒットアルバム「Colour by Numbers」からの1stシングル。2ndシングル「カーマは気まぐれ」に完全に食われた印象ですが、私はこちらの方が好きでした。
最近気づいたのですが、このタイトル…「The Court of the Crimson King」と韻を踏んでませんかね?? CourtとChurch, of the, CrimsonとPoison, KingとMind。
曲調は全く違えど、「In the~♫」というサビの唄い出しまで同じです
それとは別に、この時期の彼らはモータウン・サウンドをリスペクトしていて楽しいです。


Kaja goo goo / Big Apple(1983)
一番人気だったヴォーカルのLimahlが脱退し、ベースのNick Beggsがフロントに立って作った2ndアルバムからの先行シングル。Nickはいまや、英Prog界きってのベースプレイヤーのひとりとなっています。
最近知ったのですが、彼はお家騒動の後でマネージャーに「チャップマン・スティックを買ってくれたらバンドを続けてフロントマンもやる」と駄々をこねたそう(笑)。1984年の次曲「Lion's Mouth」MVでは、スティックを演奏する姿が確認できますし、エレドラも導入していて、まるでディシプリン・クリムゾンのようです。
当然そんな知識もなくエピソードも知らなかった私は、単純にポップスとして楽しんでいました。


David Bowie / Let's Dance(1983)
初めて知ったのがこの曲だったので、Bowieはこういうオトナな音楽の人なんだ、と思っていました。のちにプログレと同じくらい過去の作品群にハマったのですが、この時期の作品にはリアルタイムで聴いた思い入れがあります。
部活の先輩(女の子)にアルバムをダビングしてもらいました。


Yes / Owner of a Lonely Heart(1983)
この曲を最初に聴いた時は、本当に衝撃でした。後にあらゆるポップミュージックで大流行したオケヒット音もさることながら、様々なサンプリング音が随所に鏤められていて、全てが異質で初めて耳にする音ばかりでした。
プロデュースを務めた前作ヴォーカルのTrevor Horn, 当時新加入のTrevor Rabin(g&vo)なくしては、この復活劇は無かったでしょう。産業ロックと揶揄されることも少なくないこの時期ですが、Trevor Hornの出自(Buggles~ラジオスターの悲劇)から考えても、ニューウェイヴの系譜で捉えた方がしっくりきます。
(産業ロックと括られたバンド群とは明らかに異質です)
そしてChris Squireのベースがめちゃくちゃ存在感を示していて、それが彼らをYesたらしめています。

STYX / Mr. Roboto(1983)
シアトリカルなコンセプト作をいくつか作っている彼らの、ちょっと可笑しな作品。
ロック・ミュージックが禁止された近未来の管理社会で、ロックの復権を目論むレジスタンスの物語。
アルバム原題「Kilroy Was Here」は、WW2時に米兵の間で流行した落書きに由来します。
劇中の重要キャラMr. Robotoは日本製の設定なので、敢えて日本語の発音ぽく、RobotではなくRobotoにしています。
ミュージカルのような作風のため、各メンバーをヒーロー側とヒール側にキャスティングした結果、バンド内の人間関係が最悪になったとか(笑)
ジャケット及びPVやライヴにも登場するミスター・ロボットの顔が、中学の同級生アシ〇イ君にそっくりで、今見ても笑ってしまいます(笑)

Vandenberg / Friday Night(1983)
MUSIC LIFEの新作レビューで星4.5とか付いてて、思わず買ってしまった作品。
もうず~っと聴いていませんでしたが、今回記憶を遡った時にパッと出てきました。当時は本当に節操なく聴いていたんだなぁ、と懐かしくなりました。
オランダのハードロック・バンドで、アガるギターリフと明るいコーラスワークが楽しい1曲ですが、「金曜の夜はロック、女にワイン」なんて、いま唄ったら世界的に怒られますね!

Night Ranger / Don't Tell Me You Love Me(1982)
この作品はほんのちょっと、1~2年だけ後追いで聴きました。
シブがき隊を好きでもなんでもなかったのですが、彼らの「Zokkon命」でパクられていると知り、野次馬根性で興味を持った1曲(笑)。当時は家にラジカセしかなかったので、カセットテープでアルバムを買うのが殆どでしたが、何故か本作はレコードで持っています。リアタイでは次作(1983年)からの「(You Can Still)Rock in America」「Sister Christian」の方が、より多く耳に入ってきたのを覚えていますが、その後ハードロックやLAメタルには全く興味が湧かなかった私でした。

The Cars / You Might Think(1984)
カーズはこの少し前の「Shake It Up(1981)」から知っていましたが、80年代を代表するのはやはりこの曲でしょう。凝りに凝って、しかもおバカなMVは当時かなり話題になりました。教室で友達同士でこのアルバム「Heartbeat City」を貸し回ししたのを思い出します。

Peter Gabriel / Sledge Hummer(1986)
彼もDavid Bowieと同様に、大人ポップとして最初に認識したので、古典とシュールを行き来する世界観、奇妙奇天烈な仮装ショウを繰り広げた1970年代のGenesis期を知った時は、本当に衝撃でした。そしてこの曲を含むアルバム「So」より前のソロワークでは、ニューウェイヴとワールドミュージックを融合した、カルトヒーロー的な立ち位置にいた事も後に知り、この頃のイメージとのギャップには驚かされるばかりでした。ただよくよく考えると、クレイアニメ手法で精緻に作り込んだこのビデオも、そんな彼の片鱗を見せつけた、大いなるヒントではあったんですよね。

King Crimson / Three of a Perfect Pair(1984)
一番最初にリアタイで聴いたクリムゾンは、80年代の活動のラスト・アルバムでした。
当時はラジオで「クリムゾン・キングの宮殿」「エピタフ」辺りをチラッと聴いた程度だったので、『伝説のバンド』という認識を除いては、殆ど先入観なく耳にする事ができました。
今では誤った通説だった事が明かされていますが、当時は「デビューアルバムがビートルズのアビーロードを全英No.1から蹴落とした」という口上が、クリムゾン紹介の際には必ず付いて回っていました(笑)
全ての楽器演奏が無機的で幾何学的で、「80年代のある側面を象徴する音」というイメージが、未だにあります。ディシプリン3部作は、ミニマルなデザインのジャケット・アートも印象的でした。Yesもそれに倣ったのか分かりませんが、80年代の2作品(90125とBig Generator)は似たようなジャケット・アートでした。
当時の情報源MUSIC LIFE誌のレビューでは星3.5程度だったと記憶していますが、寸評内に「太陽と戦慄パート3を収録」とあり、とても興味をそそられたのを覚えています。その時私は「太陽と戦慄」とやらを全くもって知らなかったのですが、「なんだか凄いもの」という事は感じ取り、ほどなくして遡っていく事となりました。


自発的に洋楽を聴き始めた頃のビデオクリップを何気なく調べていたら、1枚の80’sコンピレーションができるほど貼り付けてしまいました(笑)。
そして無意識だったのですが、1983年の作品がなんと多い事か。

洋楽を聴き始めたのはその少し前、1980年(10歳)なのですが、その頃はまだFMのTop10番組をなんとなく聴く程度の「洋楽赤ちゃん」でした。
1982年には「ASIA~時へのロマン」「TOTO~IV聖なる剣」という作品を入手していましたが、まだそれ以上の探求心は芽生えていなかったのかもしれません。小遣いでアルバムを買うのも大変でしたし、MTV番組もラジオ番組も、まだあまり知らない時期でした。それに当時はこの2枚をずっと繰り返し聴いていても、全く飽きませんでした。

中編(1990年代)に続く…

2023年1月4日水曜日

ABWH ~ An Evening of Yes Music Plus, Deluxe Box Setリリースに寄せて

高額に加え、タイミング的にも大枚叩いてまで入手するモチベーションではないので、一旦は見送りますが、実に魅力的なボックスです…。

過去のエントリーで書いたと思いますが、私の人生初のライヴ体験は1988年春、代々木体育館で行われたYes~Big Generator Tourでした。
1982年にASIAを経由して知ったYes。その当時Yesは解散状態だったので、ロックを知ったばかりの中学生の憧れは盲目的に強くなりました。そして程なくすると、ドラマティックに再結成。斬新な変身を遂げての大ブレイクを、思春期真っ只中の感性で目の当たりにしてきたので、正に待望のライヴ体験だったのですが、ハイティーンになっていた1988年頃には、既に往年のYesと当時のYesのギャップを知ってしまった後。いわゆる90125Yes(当時はまだ、そんなあだ名はありませんでした)もリアルタイムで大いに楽しんでいましたが、「だが、コレじゃない」感が芽生えていたのも事実です。

「Close to the Edge」直後の全盛期、滞在時にJon&Steveで「Tales from Topographic Oceans」の構想を練ったという1973年の初来日時、私はまだ3歳の幼児。それから実に15年もの時を隔てた2度目の来日公演が、私にとっては人生初のライヴ体験となったわけですが、残念な事にかなり記憶が薄れてしまっています。

その初めての生Yesメモリーを完膚なきまでに上書きしたのが、Anderson Bruford Wakeman Howe(ABWH)の結成と、1990年春の来日公演でした。
人生2度目となったこのライヴ体験、東京と横浜の全公演に足を運び、忘れようもないほどに記憶に刻み込みました。

90125Yesは、アルバムのリリース間隔こそ長かったものの、珍しくメンバーチェンジもせずに80年代を駆け抜けたので、このラインナップは盤石で、黄金期メンバーの再集結は見果てぬ夢に終わるのだろうと、当時の私は諦めていました。
そして私が、Yesに興味を持つきっかけとなったギター・ヒーローSteve Howeが、ASIA、GTRの商業的成功とは裏腹に、バンドのリレーションシップに失敗しているのを繰り返し見てきて、いたたまれない気持ちでいた80年代終盤。正に起死回生の一発に思えたのが、ABWHでした。

なんといっても全盛期メンバーの4/5が揃った事、特に「Close to the Edge」をレコードに残したものの、一度もライヴ演奏せずに去ったBill Brufordが戻ってきたのは、私のような若輩ファンにとっても奇跡の出来事に思えました。
Billは正に字義通りのProgressiveを体現するドラマーでしたので、彼が連れてきたTony Levinのサポート含め『ただの懐メロで終わるワケがない』という期待感もありました。

当時はまだ、Chris Squireの重要性は今ほど言われておらず、時には「目立たない」「静かな」メンバーとして紹介するメディアもあるほどでした。故に私も、彼の不在を殆ど気にしていませんでした。なんなら「生意気な若造」Trevor Rabinを擁護してYesの看板を譲らない巨漢のヒール、くらいにしか思っていませんでした(ただBig Generatorでの私のお気に入りは、彼のベースが大活躍するI'm Runningでした)。
今は勿論、ChrisがYesで果たした役割の重要性(音楽、運営どちらも)と当時の正当性、Trevorの並外れた才能も理解しています。

ABWHの既発ライヴ作品「An Evening of Yes Music Plus」は、既知のとおり病欠したTony Levinに替わって、Billのもう一人の盟友Jeff Berlinが参加しています。そのため、フルタイムでサポートしていたTony参加音源の方がレアになってしまっています。
指に長い「とんがりコーン」を装着したり、チャップマン・スティックを駆使した先進的な演奏には、本当に痺れましたし、シモンズのデジタル・ドラム要塞を縦横無尽に操るBillとのコンビネーションも最高でした。

本作の国内盤は、NHKホールでのオンボード音源も収録との事。Tonyの演奏が聴けます!
でも、高いんだよなあ…。

余談ですが、未だにBill Brufordの日本語表記には揺れがありますね。
私も世代的には「ブラッフォード/ブラフォード」で覚えたクチですが、自伝が出版された辺りからは意識して「ブルーフォード/ブルフォード」と記述するようにしています。過去のエントリーではブレの名残があって「ブルッフォード」とか書いちゃったりしていますが(笑)